レニー滝川のシネフィル日記

映画大好き人間による備忘録のようなもの。

『ナイスガイズ!』気高き男たちの小さな勝利!感想とネタバレ

どうもレニーです。

今回紹介する映画はラッセル・クロウライアン・ゴズリング主演の『ナイスガイズ!』

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出典:www.amazon.com

 

 もうね、この映画本当に大好きで。僕のオールタイムベスト10に入れちゃってもいいくらい大好き
70年代のロサンゼルスを舞台にしたバディ・ムービーだが、主演2人がとにかく最高。めちゃくちゃ笑える。
劇中とにかくバカみたいなやり取りや出来事が起こりまくるが、だからといって「こいつらバカだな~笑」だけでは終わらない映画でもある。

まあとにかく最高の映画なので紹介していきます。

『ナイスガイズ!』のあらすじとキャスト

 『ナイスガイズ!』のあらすじは至ってシンプル。

暴力的な示談屋ジャクソン・ヒーリー(ラッセル・クロウ)と生粋のダメ男である私立探偵ホランド・マーチ(ライアン・ゴズリング)がひょんなことから手を組むことになり、失踪した一人の少女の行方を捜すことになります。
簡単だったはずの仕事だが、調査を進めていくうちに1本のポルノ映画を巡った大きな陰謀に巻き込まれていくというお話。

パラメーターを腕力に全振りしたような示談屋ジャクソン・ヒーリーを演じるのはラッセル・クロウ

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

ハマり役というか、むしろ素のラッセル・クロウなんじゃないかと思うくらい自然。笑
私生活でも暴力沙汰の多かった彼だが、本作でも思う存分気性の粗さを披露してくれている。でもどこかコミカルというか、憎めない空気感も漂っていてそこが好き。

ヒーリーによって半ば強引に彼の相棒とされてしまうのが私立探偵のホランド・マーチ。演じるのはライアン・ゴズリング

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

ラ・ラ・ランド』の時のかっこいいゴズリングはどこ行ったんだよ!って感じのキャラクター。とぼけた顔をしながら昼間から酒を飲み、娘からは「一生幸せになれない男」と呼ばれている。冒頭からジャクソンにボコボコにされるなど、腕っぷしも弱い。たぶん探偵としての能力もすごく低い。
それにしてもライアン・ゴズリングの作品選びは毎回センスあるな~と思う。彼が出ててツマラナイ作品は観たことがない。

そしてホランドの一人娘であるホリー・マーチを演じたのがアンガーリー・ライス。

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

もうめちゃくちゃキュート。ジャクソンとホランドという不良中年2人を支える役割を果たしながら、作品自体にも心地いい風を運んでくれる存在感。生まれながらに持ち合わせた良心と行動力で、物語の推進力をグッと引き上げている。ダメ親父であるマーチを献身的にサポートする姿がタマラナイ。

物語のカギを握る司法省長官ジュディスを演じるのはキム・ベイシンガー

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

失踪したアメリアという少女の母親であり、司法省の長官も務めるいかにもなキャリアウーマン。物語の大きなカギを握ります。
ラッセル・クロウキム・ベイシンガーの共演で真っ先に思い浮かぶのが、往年の名作『L.A.コンフィデンシャル』(1997年)。作品のテイストは異なるが、どちらもロサンゼルスが舞台になっている映画ですね。

そして今作『ナイスガイズ!』の監督を務めたのはシェーン・ブラック。もとは脚本家で、『リーサル・ウェポン』(1987年)の脚本を手掛けたことで有名になった人物。
監督としては『キスキス,バンバン』(2005年)でデビューを果たし、最大のヒット作は『アイアンマン3』(2013年)。
映画好きから高い支持を受ける彼が満を持して世に放ったのが、今作『ナイスガイズ!』です。

 

圧倒的”迷コンビ”の誕生

『ナイスガイズ!』の最も大きな魅力は、ラッセル・クロウライアン・ゴズリングの圧倒的な迷コンビぶり。バディ・ムービーの傑作といえば本作の監督であるシェーン・ブラックが脚本を手掛けた『リーサル・ウェポン』や、クリス・タッカージャッキー・チェンが絶妙なコンビネーションを魅せる『ラッシュ・アワー』など様々な作品が思い浮かぶ。
バディ・ムービーは個人的に大好きなジャンルだが、作り手としては取り組むのが簡単なようで実はすごく難しいジャンルだと思う。2時間弱という枠の中で主演2人のキャラクターをそれぞれ魅力的に描かなければいけない上に、お互いのキャラクターを作品の中で見事に嚙合わせる必要がある。『ナイスガイズ!』はその部分において、主演2人が絶妙すぎるハーモニーを放っている

まずそれぞれのキャラクターだが、ラッセル・クロウ演じるジャクソンはとにかく暴力的な男。示談屋という肩書きを持っているが、やっていることは腕力で相手をねじ伏せ強引に片を付けているだけの中年チンピラ。実生活では絶対に関わりたくない相手だが、元妻に「あなたのお父さんと寝たの」と打ち明けられ飲んでいた水を吹き出してしまうような人間味のある一面も描かれる。敵であれば命を奪うことも躊躇わなかった彼だが、ホランドの娘であるホリーに出会い少しずつ心が変化していくのが分かる

対してライアン・ゴズリング演じるホランドは、酒浸りの私立探偵。気も腕っぷしも弱いくせにファッションは無駄にオシャレで、捜査中に出会う黒人の美女にいとも容易く恋に落ちたりする。ゴズリングといえば端正な顔立ちでクールな役柄が似合う俳優だったが、今作ではコメディに全力で舵を切ったような立ち回りを魅せてくれる。探偵っぽく手でガラスを突き破り建物の中に忍び込もうとするが、ガラスで手が血まみれになり泣きながら病院に運ばれるシーンなどは爆笑モノ。人としても父親としても欠けたものばかりである彼だからこそ、物語のクライマックスでつぶやくある言葉にはグッときてしまったりもする。

相容れないように見えるジャクソンとホランドだが、2人の間には大きな共通点がある。それは2人が「どこかで道を外したダメな大人」という点である
足りない部分を2人で補い合うということではなく、ジャクソンとホランドは手を組みながらもそれぞれが思うままに行動をする。ホランドに関しては大事な情報を探るパーティーに潜入した挙句、酒でベロベロになるというポンコツぶりも見せる。
それでも前代未聞の凸凹コンビに心を掴まれてしまうのは、2人がどこまでも必死にもがく姿が描かれるからだ。決して立派な大人とは呼べないジャクソンとホランドだが、彼らは確実に自分らしく己の人生を生きているのがわかる。この窮屈な時代に彼らの姿はヒーローにすら見え、足を引っ張り合う姿でさえ羨ましいと感じてしまう。正統派からは大きくずれ込んでいるが、彼らは紛れもなく映画史に残る名(迷)コンビなのである。

 

 

巨大な陰謀に立ち向かう気高き男たち(ネタバレあり)


『ナイスガイズ!』は70年代のロサンゼルスを舞台にしている。70年代のロサンゼルスはポルノ映画の最盛期でもあり、本作の物語部分にもそれが大きく絡んでくる。ポルノ映画を題材にした映画といえばポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギー・ナイツ』(1977年)を思い出すが、あの映画も70年代のロサンゼルスを舞台にしており本作と全く同じ舞台背景である。

本作の物語は一人の少女の失踪から始まり、やがてポルノ業界、大手自動車メーカー、そして州政府が絡んだ大きな陰謀へと姿を変えていく。失踪した少女アメリアは政府と自動車メーカーの癒着を告発したポルノ映画に出演しており、その口封じの為に彼女に関係した人物が次々と殺されていく。黒幕は彼女の母であり司法省長官でもあるジュディス。自動車メーカーから賄賂を受け取っていた彼女は、その事実が表向きになることを恐れ娘が出演したポルノ映画のフィルムを奪うことに専心する。ジャクソンとホランドは事件に巻き込まれる形になりながらも、フィルムを巡る争奪戦へと身を投じる。

忘れがちになるが、本作はアクションもしっかりと楽しめる。クライマックスのモーターショーなんかはアクションとしての見どころも満載だ。ホランドのあたふたとしたアクションも相まって、スラップスティック的な楽しさもある。
そして個人的にこの映画で最も重要なシーンだと思うのは、敵サイドの暗殺者であるジョン・ボーイ(マット・ボマー)をジャクソンが追い詰めるシーンである。傍らにはホリーがいて、「やめて!殺したら一生口をきかないから」と叫ぶ。今までのジャクソンであったら、躊躇などせずに相手の息の根を止めていただろう。暴力しか解決手段の持たなかった男が、気高き精神を取り戻す素晴らしい名場面である。
一方のホランドも敵の攻撃を必死にかいくぐり、フィルム奪還に成功する。へたり込みながら、「時には、いやごくたまには・・・俺だって勝つさ」とつぶやく彼の言葉には小さな勝利を噛みしめる気高き精神がにじみ出ていた。

『ナイスガイズ!」は間違いなく個人的名作ランキングのベスト10に入る作品。大人になると好きに生きられない瞬間が多く訪れるが、この映画を観るとそんなことはどうでも良くなってしまう。一見バカみたいな映画で不謹慎な場面も多々あるが、決してコメディ映画には収まらない気高い精神性が流れる映画である
冒頭部分、裸の女性を前にした少年が彼女にそっとブランケットを掛けてあげるシーンがあるが、あの動作がこの映画の精神性を表している。人はいつからでもナイスガイになれるのだ。