レニー滝川のシネフィル日記

映画大好き人間による備忘録のようなもの。

『スマホを落としただけなのに』感想とネタバレ。

 なんとなくさらっと観れる邦画が観たくなり、少し前に話題になってた『スマホを落としただけなのに』を鑑賞。

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(C)2018映画「スマホを落としただけなのに」製作委員会

続編の公開も決まっているらしいが、別にやらなくてもいいと思う。ってくらいの温度感だが、良い点もあったのでこの映画をさらっと鑑賞したように感想もさらっと書いていきます。

 

スマホを落としただけなのに』あらすじとキャスト

主人公の女性(北川景子)の彼氏(田中圭)がタクシーにスマホを忘れてしまい、個人情報を抜かれた上に北川景子が殺人犯に狙われるという話。本当はもう少し色々あるが、ざっくり言うとこんな感じ。
原作は志駕晃の同名小説。この人はニッポン放送の専務らしいです。全く知らなかった。

小説は未読なので映画版がどこまで原作を踏襲してるのか分からないが、映画を観終わるとまずタイトルからして腑に落ちない。
まず、スマホはタクシーに”忘れた”のであって”落とした”のではない。普通タクシーを降りた後にスマホがないことに気付いたら、隣にいる友人に「あ!タクシーにスマホ”忘れた”かも」と言うはずである。「タクシーに”落とした”」という人もいるかもしれないが、大体の場合は”忘れた”と言うだろう。細かい部分かもしれないが、こういう部分が整理整頓されていないと僕は萎えてしまう。
もう一点はスマホを落としたのが主人公ではなく、その彼氏という点。このタイトルからしたら、「主人公がスマホを落としてそれによって危機に陥ってしまう」というニュアンスがある。だが実際にはスマホを落とした(忘れた)のは彼氏であって、タイトルと乖離があるような気分になってしまう。まあ本当に細かい部分だが、この時点で「作りが雑」と思われてしまっても大いに仕方がない。

そして最も大きく鑑賞中の体力を削られたのが、北川景子の演技。全く嫌いではなくルックスは美しいが、演技に関してはこんなにも下手なのかと思ってしまった。とにかく目の動きや叫び方が大げさで、冷めてしまう。

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(C)2018映画「スマホを落としただけなのに」製作委員会

 

それに対して、この映画を何とか鑑賞に堪えうるレベルに引き上げているのが成田凌。「イケメン俳優」にカテゴライズされる彼だが、しっかりと実力派。

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(C)2018映画「スマホを落としただけなのに」製作委員会

 

個人情報は大事にね(ネタバレあり)

要は「こんな時代だから個人情報は大事にね。怖いことになるよ」という物語なのだが、登場人物の過去には何かしらのトラウマがあったりもする。
さらっとネタバレするが、成田凌演じる犯人も母親から受けた虐待がトラウマとなり黒髪の女性ばかりを狙う殺人事件を起こしていた。事件を追う若手刑事(千葉雄大)にも同じような過去があり、ここの対比の構図は良かった。同じトラウマを抱える人間でも、正しい道を歩める人間もいるということだ。ここを掘り下げた方が味わい深い映画になったに違いない。

成田凌の狂気に満ちた演技は唯一の見どころと言ってもいい。過剰にも見える演技だが、彼の体格や声が役にフィットしていて現実味を帯びたキャラクターとなっていた。白い女性服を着てナイフを振り回す姿は強烈だった。

最後に一応触れるが、北川景子演じる主人公の過去の秘密については何を伝えたかったのか分からない。何かを示唆しているようで何も示唆していない、ただの仕掛けとしての設定のように思えた。そもそも無理があるしね。

ということで、「頭を空っぽにしながら成田凌のぶっ飛び演技を見たい人」にはおススメの映画。

『ノーカントリー』悪役を超越した存在を生んでしまった傑作。(感想・ネタバレ)

ノーカントリー』はコーエン兄弟の代表作である。
2007年のアカデミー賞では作品賞をはじめ計4冠に輝き、コーエン兄弟を名実ともに映画界のトップレベルへと押し上げた作品でもある。

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.


コーエン兄弟については個人的にも思い入れの深い監督だ。マーティン・スコセッシクエンティン・タランティーノなどとともに、僕に映画の面白さを教えてくれた監督の一人である。
しかし本作『ノーカントリー』は、それまでのコーエン兄弟監督作品とは少し作風が異なる。劇中でどれだけ悲惨なことが起こっていたとしても、彼らの作品には根底にユーモアが流れていた。僕もそのブラックなユーモアセンスと独特なストーリーテリングに魅了されたうちの一人だが、『ノーカントリー』では良い意味で彼らの持ち味が封印されている。いや、正しく言えばコーエン兄弟の本気を誰もが認めざるを得なかった作品」と言えるかもしれない。それまでのコーエン兄弟作品には好き嫌いの分かれる作品が多かったが、『ノーカントリー』にはそんなことを言わせる隙を与えない程のパワーがある。すでに鑑賞済みの人なら一発で分かると思うが、本作が大成功した主な要因は一人のキャラクターの存在にある。『ノーカントリー』は今後も語り継がれていくであろう、映画史に残る名悪役を誕生させたのである。

 

ノーカントリー』のあらすじとキャスト

ノーカントリー』はコーマック・マッカッシーの小説『血と暴力の国』(2005年)が原作となっている。いかにも物騒な題名の小説だが、『ノーカントリー』はほぼこの原作の通りに物語が進んでいく。

舞台は1980年代のテキサス。
ベトナム帰還兵のモス(ジョシュ・ブローリン)は、麻薬取引の現場に残された大金を発見しそれを持ち逃げする。殺し屋であるシガー(ハビエル・バルデム)はギャングからモスの追跡を依頼され、大金の入ったケースに仕掛けられた発信機を頼りにモスを追う。さらにこの事件を追う年老いた保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も二人の行方を追うことになり、物語は三つ巴で展開していく。

冒頭でも書いたように、本作の一番の見どころは一人のキャラクターの存在にある。モスを追う殺し屋、アントン・シガーである。

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

まず冒頭、保安官の首を絞めるシガーの形相から、誰もが「こいつはヤバい」と一発で認識せざるを得ないほどの存在感を放つ。
演じたのは『007 スカイフォール』(2012年)でも強烈な演技を魅せた、ハビエル・バルデム。とにかく顔面の破壊力に秀でており、一度見たら脳内に強くインプットされてしまうタイプの俳優。シガーの魅力については、後ほど細かく書いていきたい。

シガーに恐怖の追跡を受けるモスを演じたのは、ジョシュ・ブローリン

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

「偶然大金ゲットできてラッキー」かと思っていたら、人生最悪レベルの恐怖を味わうことになる男。ラッキーどころか確実にツイてない。死にそうになっている男にわざわざ水をあげる為に危険を冒すなど、人物像としては普通にいい人。あんな大金を前にしたら大体の人は持ち逃げするだろうし、人間臭さがあって僕は好きな人物。

そしてこの二人の行方を追う老保安官を演じたのはトミー・リー・ジョーンズ

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

作品のテーマ的には最も重要な登場人物だが、とにかく哀愁がすごい。おそらく過去には正義に燃え、血気盛んに悪党を捕まえていた時代もあっただろうなと思う。が、本作での保安官ベルはすっかり年老いてしまっている。原題にも表れているが、この作品が放っているある種無情な真実をこのキャラクターが象徴している。

 

「お前らに暮らす場所など存在しない」

本作『ノーカントリー』の原題は『No Country for Old Men』である。邦題だけだと全く意味が分からないが、原題を見れば何とも腑に落ちるタイトルとなっている。
本作を観た上で僕なりに原題を意訳すると、「お前らに暮らす場所など存在しない」といったところ。直訳は「年老いた男に国は存在しない」となるが、本作が持つ不条理性は”年老いた男=保安官ベル”に対してだけでなく、この映画を観ている我々にさえ向けられる。

「悪役」を超越したアントン・シガー

本作が持つ不条理性を象徴しているのは、稀代の悪役アントン・シガーである。出会ったら最後、生かされるも殺されるも彼次第。シガーが投げるコインが表か裏かのどちらかかによって、自分の生き死にが決まってしまうのだ。
カリスマ的な悪役が持つ特徴として、”会話のシーンが恐怖”というのがある。シガーもこの例に漏れない。会話の途中で、「ちょっと変な野郎だな」と思っていたらいつの間にか100%イニシアチブを握られ、会話は”尋問”へと形を変えている。そして目の前にいる今まで出会ったこともない”異質な存在”に恐れをなす。

人を殺すことに何の感情も持たないように見えるシガーだが、不思議なことに恐怖はあっても彼に対して嫌悪感は生まれない。本作を観た人の多くがそう感じると思う。
その理由としては、シガーが正当に人殺しをしているように見えるからである。人を殺すのに正当な理由などなくあくまで作品世界限定での話だが、例えばシガーは汚い手は使わないし胸糞悪い犯罪には手を染めなさそうに見える。シガーの挙動一つ一つに説得力が伴っており、人殺しとしての彼に異論を挟める余地が存在しないのである。

どこまでも異質でありながら正当というのは、もはや神の存在に近い。実際にシガーが得体の知れない武器を持ってゆっくりと歩いている様は、神々しくも見えてしまう。どの角度から見ても一切感情移入の隙を与えないシガーの存在は、”悪役”という概念をも超越してしまったように思う。

 

難解な映画ではない

ノーカントリー』の感想で、「難解でよくわからなかった」と言う声を聞く。保安官ベルの唐突な語りで終わるラストによって、煙に巻かれたような思いをした人が多いのだと思う。とはいえ、本作は決して難解な作品ではない。むしろ物語はシンプルな逃走劇だし、説明こそ少ないが高水準な映画的語り口が随所で楽しめる。

もし本作をまだ観ていない人がいたら、急いで観た方がいい。シガーを観るだけでも楽しめる。絶対に。

『イージー・ライダー』自由でいることの難しさ。雄大な風景と2台のバイク。

どうもレニーです。
今回紹介するのは、アメリカン・ニューシネマを代表する作品である『イージー・ライダー』。

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(C)Sony Pictures Entertainment (Japan) inc.

アメリカン・ニューシネマとは1960年代後半から1970年代半ばにかけて制作された一連の作品群のこと。ベトナム戦争真っ只中であった当時のアメリカの世相を映し、主に若者から大きな支持を受けた。アメリカン・ニューシネマの詳細な概要については、また別の記事で書きたいと思う。

本作『イージー・ライダー』のパブリックなイメージとしては、バイクに跨った若者がロックミュージックとともにアメリカの広大な風景を駆けていく開放的で自由なイメージがあるように思う。
しかし本作で描かれていることはそのイメージからは程遠く、痛々しさや猛烈な閉塞感さえ感じてしまうものである。

イージー・ライダー』のあらすじとキャスト

イージー・ライダー』にはほとんどあらすじがない。ワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)の若者2人がハーレーダビッドソンに跨り、ひたすら旅をするという流れである。その旅の中で2人はヒッピーの集団に世話になったり、弁護士であるジョージ・ハンセン(ジャック・ニコルソン)に出会ったりするが、明確な物語は示されずまるでドキュメンタリーを観ているかのようにも感じる。
これは本作が制作された経緯を聞けば納得なのだが、当初は脚本なしのアドリブで撮影がスタートされたという。その結果「さすがにこれはまずい」ということになり、脚本家のテリー・サザーンキューブリックの『博士の異常な愛情』を手掛けた人物)が呼ばれ脚本が用意された。なんだか行き当たりばったりで作られた映画のようにも聞こえるが、本作はその衝撃的な内容で映画史に名を残すことになる。

本作の主人公の一人であるワイアットを演じたのは、ピーター・フォンダ

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Kobal/COLUMBIA/TheKobalCollection/WireImage.com

相棒のビリーとの詳しい関係性は一切語られないが、旅のイニシアチブはどちらかというとワイアップの方が握っているのかなという印象。バイクには星条旗のデザインが施されており、ビリーからはキャプテン・アメリカという愛称で呼ばれている。そしてティア・ドロップス型のサングラスが良く似合う。

ワイアットの相棒であるビリーを演じたのは、本作で監督も務めるデニス・ホッパー

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長髪がトレードマークで、相棒のワイアットよりも奔放な性格という印象。「自由」を体現しているかのような人物だが、その風貌から思わぬ迫害を受けたりもする。

そして2人が旅の途中で出会う酒浸りの弁護士ジョージ・ハンセンを演じているのが、ジャック・ニコルソン

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人が良く軽快な語り口が印象的な男だが、酒に酔っているせいかいつも虚ろな目をしてる。主人公2人と意気投合をし彼らの旅に参加するが、やがて凄惨な最期を迎えてしまうことになる。
ジャック・ニコルソンはのちにハリウッドを代表する俳優へと進化するが、本作をはじめ『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970年)や『カッコーの巣の上で』(1975年)などのアメリカン・ニューシネマに多く出演している。

この3人が自由気ままにバイクを走らせるだけの映画なのだが、想像以上に残酷で救いようのない現実が彼らを襲う。

自由を恐れる人々(ネタバレあり)

自由の在り方は人それぞれであるけれど、人間には「自由でありたい」という根源的な欲求があるように思う。そういった意味では、本作の主人公たちは見事に自由を体現している。雄大アメリカの風景とロックミュージック、そして2台のバイク。毎日マリファナを吸いながら、特に当てがあるわけでもなく旅をする。当時のアメリカの若者たちはその姿に自由を見出し、本作は大きな支持を受けた。

しかし『イージー・ライダー』が映画史に残る作品となっている大きな理由は、その悲劇的なラストにあると言って間違いない。簡単にいうと、ワイアットとビリーはバイクで走っていたところをその土地の農夫らしき男に銃で撃たれ殺されてしまう。しかもドラマチックな演出も彼らが殺された明確な理由も示されないまま、突発的にその「自由」は終わりを迎えてしまう。そしてワイアットのバイクが炎上する様子を映したまま、映画も終わりを迎える。
このラストに至るまでの間でも、彼らは旅先で不当ともいえる扱いを受けている。モーテルへの宿泊を断られたり、立ち寄ったレストランでは地元の男たちに明確な嫌悪感をぶつけられる。自由を謳歌する彼らに居場所はないのだ。

ジャック・ニコルソン演じるジョージ・ハンセンのセリフが、この映画のメッセージを端的に示している。彼は、「自由について説くのと自由であることは全く違う。あいつらはお前に自由を見出している。自由な奴を見るのが怖いのさ」と語る。焚火をしながらジョージがビリーに語りかける名シーンである。そしてこのシーンの直後、ジョージはレストランで居合わせた男たちに寝込みを襲われ撲殺される。

本作は確かに自由を描いてはいるが、正しく言えば「自由でいることの難しさ」を描いている。ワイアットとビリーも刹那的には自由であったものの、古くからある伝統や理由のない悪意によって殺された。
その結末には不条理性さえも感じるが、いつの時代にも不条理は存在する。時代が移り変わりどれだけ快適な生活を送れるようになったとしても、人間は誰もが見えない何かに縛られ続けているように思う。どう生きるかは個人の自由であるが、『イージー・ライダー』が発するメッセージはいつの時代にも響き続けるだろう。

『ゼロ・グラビティ』一人の女性が極限状態の中で強烈な進化を果たす物語。

どうもレニーです。
今回紹介するのは、驚異的な映像で宇宙空間の美しさと恐怖を描いた『ゼロ・グラビティ』。

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(C)2013 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

映画館で観た時はその革新的な映像表現に、さも自分が宇宙にいるかのような錯覚に陥った。宇宙を描いたSF作品の中では、間違いなく映画史に残る傑作だと思う。

映画界からの評価も高く、クエンティン・タランティーノは本作を2013年のベスト10映画に選出している。
そして2014年のアカデミー賞では、監督のアルフォンソ・キュアロンが本作で見事に監督賞を受賞した。

ゼロ・グラビティ』のあらすじとキャスト

言うまでもないが、本作は地球の上空約60万メートルの宇宙空間が舞台となる。温度は摂氏125度からマイナス100度の間で変動し、音を伝えるものは何もない。もちろん気圧もなく、酸素もない。
少しのミスがいとも容易く死に繋がる宇宙空間の中、メディカル・エンジニアであるライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士であるマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)は、通信システムの故障の原因を探るミッションにあたる。
順調に調査を進めていた彼らだったが、ロシアが破壊した人工衛星の破片(スペース・デブリ)が猛烈なスピードで彼らのいる方向へ迫っていることを知らされる。急いでシャトルに避難しようとするライアンとマットであったが、デブリが彼らに襲い掛かり2人は宇宙空間に放り出され離れ離れになってしまう・・・。

ライアン・ストーン博士を演じたのは、『しあわせの隠れ場所』(2009年)で主演女優賞を受賞したサンドラ・ブロック

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(C)2013 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

SF映画で女性が主人公というのも珍しい。特に本作のような危機的状況をサバイブする映画であるなら、男優の方が色々な動きや見せ方ができるように思う。しかし、『ゼロ・グラビティ』におけるサンドラ・ブロックの演技はとにかく素晴らしかった。相当な体作りをして挑んだというのも一目で分かるし、絶望的な状況を前にした感情表現も見事だった。

ベテラン宇宙飛行士でありライアンをサポートするマット・コワルスキーを演じたのは、ハリウッドの色男代表ジョージ・クルーニー

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(C)2013 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

危機的状況の中でも決してテンパることなく、ジョークを飛ばしながらライアンをサポートする姿がシンプルに格好良かった。ほぼすべてのシーンで宇宙服を着ているので本作で顔がハッキリと映るシーンは限られているが、それだけにジョージ・クルーニーの声の渋さが際立っていた。『ゼロ・グラビティ』では「通信」が重要なツールとして登場するので、ここは意外と重要な要素である。

はっきりと登場する人物は、なんとこの2人のみ。厳密にいえば他にも数人登場人物はいるが、本当に一瞬なのでほぼ2人芝居というスタイルである。劇中での2人の動きはミリ単位で事前に決められており、寸分の狂いも許されない難しい演技だったとのこと。
ちなみにサンドラ・ブロックジョージ・クルーニーは、プライベートでも20年以上の友達。これまでに共演した映画は少ないが、互いに尊敬をし合っているからこそ過酷ともいえる本作で見事なケミストリーを起こしている。

そして本作の監督は『天国の口、終わりの楽園』(2001年)や『トゥモロー・ワールド』(2006年)のアルフォンソ・キュアロン。『トゥモロー・ワールド』で魅せた革新的な長回しは有名だが、本作の冒頭13分のロングテイクも劇場で観た時には度肝を抜かれた。

 

これまでになかった映像体験

ゼロ・グラビティ』の魅力は、まずその圧倒的な映像体験にある。冒頭13分のカットなしのロングテイクシーンから、これまでには体験したことのない映像世界を味わうことになる。この時点でまるで自分も宇宙にいるかのような錯覚に陥り、青い地球の美しさに息を飲んだり、その後訪れる危機的な状況にリアルな恐怖を感じたりする。

監督のアルフォンソ・キュアロンは本作の製作が決まってから、この映画の実現に必要な映像技術が開発されるまで4年も待ったという。その甲斐もあり、本作の宇宙表現は実際に宇宙へ3回飛んだことのあるNASAの宇宙飛行士からも「本物そっくりだ」と絶賛の声が挙がっている。「消火器で軌道を変えて飛び回るのは無理」という声や、「ISS内で火災が発生するのはあり得ない」など宇宙関係者からは一部間違いを指摘する声もあるが物語上の脚色として仕方がない部分もあるように思う。
宇宙空間に対する知識を全く持ち合わせてない僕でも「これは、、?」という場面はあるにはあったが、サンドラ・ブロックの鬼気迫る演技と圧倒的な映像世界による没入感はピカイチだった。

 

一人の女性が「進化」を遂げる物語(ネタバレあり)

ゼロ・グラビティ』の魅力は映像だけではない。むしろ映像は表向きの魅力で、本作の根幹には主人公であるストーン博士の成長ストーリーが紡がれている。
ストーン博士には4歳の娘を不慮の事故で亡くした過去がある。それは本作で大きく触れられる部分ではないが、それによって彼女が心に傷を負っていることが分かる。辛い過去を持つ主人公が日常から離れた場所で危機に見舞われ、やがてそれを乗り越えていくという話は普遍的でありながらも心を揺さぶる物語である。本作が好きな人は、ニール・マーシャル監督の傑作ホラー『ディセント』(2005年)も好きだと思う。

宇宙空間で極限の危機を味わったストーン博士だが、生への強い意志とともに地球への奇跡的な生還を果たす。水の中を泳ぎ陸へと降り立つ彼女の姿は、人類そのものの「進化」の過程の姿とすら重なる。強烈な体験の中で進化を果たし、重力を取り戻した彼女は新たな人生を手に入れ前へと進むことができるに違いない。

 

『ナイスガイズ!』気高き男たちの小さな勝利!感想とネタバレ

どうもレニーです。

今回紹介する映画はラッセル・クロウライアン・ゴズリング主演の『ナイスガイズ!』

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出典:www.amazon.com

 

 もうね、この映画本当に大好きで。僕のオールタイムベスト10に入れちゃってもいいくらい大好き
70年代のロサンゼルスを舞台にしたバディ・ムービーだが、主演2人がとにかく最高。めちゃくちゃ笑える。
劇中とにかくバカみたいなやり取りや出来事が起こりまくるが、だからといって「こいつらバカだな~笑」だけでは終わらない映画でもある。

まあとにかく最高の映画なので紹介していきます。

『ナイスガイズ!』のあらすじとキャスト

 『ナイスガイズ!』のあらすじは至ってシンプル。

暴力的な示談屋ジャクソン・ヒーリー(ラッセル・クロウ)と生粋のダメ男である私立探偵ホランド・マーチ(ライアン・ゴズリング)がひょんなことから手を組むことになり、失踪した一人の少女の行方を捜すことになります。
簡単だったはずの仕事だが、調査を進めていくうちに1本のポルノ映画を巡った大きな陰謀に巻き込まれていくというお話。

パラメーターを腕力に全振りしたような示談屋ジャクソン・ヒーリーを演じるのはラッセル・クロウ

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

ハマり役というか、むしろ素のラッセル・クロウなんじゃないかと思うくらい自然。笑
私生活でも暴力沙汰の多かった彼だが、本作でも思う存分気性の粗さを披露してくれている。でもどこかコミカルというか、憎めない空気感も漂っていてそこが好き。

ヒーリーによって半ば強引に彼の相棒とされてしまうのが私立探偵のホランド・マーチ。演じるのはライアン・ゴズリング

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

ラ・ラ・ランド』の時のかっこいいゴズリングはどこ行ったんだよ!って感じのキャラクター。とぼけた顔をしながら昼間から酒を飲み、娘からは「一生幸せになれない男」と呼ばれている。冒頭からジャクソンにボコボコにされるなど、腕っぷしも弱い。たぶん探偵としての能力もすごく低い。
それにしてもライアン・ゴズリングの作品選びは毎回センスあるな~と思う。彼が出ててツマラナイ作品は観たことがない。

そしてホランドの一人娘であるホリー・マーチを演じたのがアンガーリー・ライス。

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

もうめちゃくちゃキュート。ジャクソンとホランドという不良中年2人を支える役割を果たしながら、作品自体にも心地いい風を運んでくれる存在感。生まれながらに持ち合わせた良心と行動力で、物語の推進力をグッと引き上げている。ダメ親父であるマーチを献身的にサポートする姿がタマラナイ。

物語のカギを握る司法省長官ジュディスを演じるのはキム・ベイシンガー

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(C)2016 NICE GUYS, LLC

失踪したアメリアという少女の母親であり、司法省の長官も務めるいかにもなキャリアウーマン。物語の大きなカギを握ります。
ラッセル・クロウキム・ベイシンガーの共演で真っ先に思い浮かぶのが、往年の名作『L.A.コンフィデンシャル』(1997年)。作品のテイストは異なるが、どちらもロサンゼルスが舞台になっている映画ですね。

そして今作『ナイスガイズ!』の監督を務めたのはシェーン・ブラック。もとは脚本家で、『リーサル・ウェポン』(1987年)の脚本を手掛けたことで有名になった人物。
監督としては『キスキス,バンバン』(2005年)でデビューを果たし、最大のヒット作は『アイアンマン3』(2013年)。
映画好きから高い支持を受ける彼が満を持して世に放ったのが、今作『ナイスガイズ!』です。

 

圧倒的”迷コンビ”の誕生

『ナイスガイズ!』の最も大きな魅力は、ラッセル・クロウライアン・ゴズリングの圧倒的な迷コンビぶり。バディ・ムービーの傑作といえば本作の監督であるシェーン・ブラックが脚本を手掛けた『リーサル・ウェポン』や、クリス・タッカージャッキー・チェンが絶妙なコンビネーションを魅せる『ラッシュ・アワー』など様々な作品が思い浮かぶ。
バディ・ムービーは個人的に大好きなジャンルだが、作り手としては取り組むのが簡単なようで実はすごく難しいジャンルだと思う。2時間弱という枠の中で主演2人のキャラクターをそれぞれ魅力的に描かなければいけない上に、お互いのキャラクターを作品の中で見事に嚙合わせる必要がある。『ナイスガイズ!』はその部分において、主演2人が絶妙すぎるハーモニーを放っている

まずそれぞれのキャラクターだが、ラッセル・クロウ演じるジャクソンはとにかく暴力的な男。示談屋という肩書きを持っているが、やっていることは腕力で相手をねじ伏せ強引に片を付けているだけの中年チンピラ。実生活では絶対に関わりたくない相手だが、元妻に「あなたのお父さんと寝たの」と打ち明けられ飲んでいた水を吹き出してしまうような人間味のある一面も描かれる。敵であれば命を奪うことも躊躇わなかった彼だが、ホランドの娘であるホリーに出会い少しずつ心が変化していくのが分かる

対してライアン・ゴズリング演じるホランドは、酒浸りの私立探偵。気も腕っぷしも弱いくせにファッションは無駄にオシャレで、捜査中に出会う黒人の美女にいとも容易く恋に落ちたりする。ゴズリングといえば端正な顔立ちでクールな役柄が似合う俳優だったが、今作ではコメディに全力で舵を切ったような立ち回りを魅せてくれる。探偵っぽく手でガラスを突き破り建物の中に忍び込もうとするが、ガラスで手が血まみれになり泣きながら病院に運ばれるシーンなどは爆笑モノ。人としても父親としても欠けたものばかりである彼だからこそ、物語のクライマックスでつぶやくある言葉にはグッときてしまったりもする。

相容れないように見えるジャクソンとホランドだが、2人の間には大きな共通点がある。それは2人が「どこかで道を外したダメな大人」という点である
足りない部分を2人で補い合うということではなく、ジャクソンとホランドは手を組みながらもそれぞれが思うままに行動をする。ホランドに関しては大事な情報を探るパーティーに潜入した挙句、酒でベロベロになるというポンコツぶりも見せる。
それでも前代未聞の凸凹コンビに心を掴まれてしまうのは、2人がどこまでも必死にもがく姿が描かれるからだ。決して立派な大人とは呼べないジャクソンとホランドだが、彼らは確実に自分らしく己の人生を生きているのがわかる。この窮屈な時代に彼らの姿はヒーローにすら見え、足を引っ張り合う姿でさえ羨ましいと感じてしまう。正統派からは大きくずれ込んでいるが、彼らは紛れもなく映画史に残る名(迷)コンビなのである。

 

 

巨大な陰謀に立ち向かう気高き男たち(ネタバレあり)


『ナイスガイズ!』は70年代のロサンゼルスを舞台にしている。70年代のロサンゼルスはポルノ映画の最盛期でもあり、本作の物語部分にもそれが大きく絡んでくる。ポルノ映画を題材にした映画といえばポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギー・ナイツ』(1977年)を思い出すが、あの映画も70年代のロサンゼルスを舞台にしており本作と全く同じ舞台背景である。

本作の物語は一人の少女の失踪から始まり、やがてポルノ業界、大手自動車メーカー、そして州政府が絡んだ大きな陰謀へと姿を変えていく。失踪した少女アメリアは政府と自動車メーカーの癒着を告発したポルノ映画に出演しており、その口封じの為に彼女に関係した人物が次々と殺されていく。黒幕は彼女の母であり司法省長官でもあるジュディス。自動車メーカーから賄賂を受け取っていた彼女は、その事実が表向きになることを恐れ娘が出演したポルノ映画のフィルムを奪うことに専心する。ジャクソンとホランドは事件に巻き込まれる形になりながらも、フィルムを巡る争奪戦へと身を投じる。

忘れがちになるが、本作はアクションもしっかりと楽しめる。クライマックスのモーターショーなんかはアクションとしての見どころも満載だ。ホランドのあたふたとしたアクションも相まって、スラップスティック的な楽しさもある。
そして個人的にこの映画で最も重要なシーンだと思うのは、敵サイドの暗殺者であるジョン・ボーイ(マット・ボマー)をジャクソンが追い詰めるシーンである。傍らにはホリーがいて、「やめて!殺したら一生口をきかないから」と叫ぶ。今までのジャクソンであったら、躊躇などせずに相手の息の根を止めていただろう。暴力しか解決手段の持たなかった男が、気高き精神を取り戻す素晴らしい名場面である。
一方のホランドも敵の攻撃を必死にかいくぐり、フィルム奪還に成功する。へたり込みながら、「時には、いやごくたまには・・・俺だって勝つさ」とつぶやく彼の言葉には小さな勝利を噛みしめる気高き精神がにじみ出ていた。

『ナイスガイズ!」は間違いなく個人的名作ランキングのベスト10に入る作品。大人になると好きに生きられない瞬間が多く訪れるが、この映画を観るとそんなことはどうでも良くなってしまう。一見バカみたいな映画で不謹慎な場面も多々あるが、決してコメディ映画には収まらない気高い精神性が流れる映画である
冒頭部分、裸の女性を前にした少年が彼女にそっとブランケットを掛けてあげるシーンがあるが、あの動作がこの映画の精神性を表している。人はいつからでもナイスガイになれるのだ。