レニー滝川のシネフィル日記

映画大好き人間による備忘録のようなもの。

『ノーカントリー』悪役を超越した存在を生んでしまった傑作。(感想・ネタバレ)

ノーカントリー』はコーエン兄弟の代表作である。
2007年のアカデミー賞では作品賞をはじめ計4冠に輝き、コーエン兄弟を名実ともに映画界のトップレベルへと押し上げた作品でもある。

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.


コーエン兄弟については個人的にも思い入れの深い監督だ。マーティン・スコセッシクエンティン・タランティーノなどとともに、僕に映画の面白さを教えてくれた監督の一人である。
しかし本作『ノーカントリー』は、それまでのコーエン兄弟監督作品とは少し作風が異なる。劇中でどれだけ悲惨なことが起こっていたとしても、彼らの作品には根底にユーモアが流れていた。僕もそのブラックなユーモアセンスと独特なストーリーテリングに魅了されたうちの一人だが、『ノーカントリー』では良い意味で彼らの持ち味が封印されている。いや、正しく言えばコーエン兄弟の本気を誰もが認めざるを得なかった作品」と言えるかもしれない。それまでのコーエン兄弟作品には好き嫌いの分かれる作品が多かったが、『ノーカントリー』にはそんなことを言わせる隙を与えない程のパワーがある。すでに鑑賞済みの人なら一発で分かると思うが、本作が大成功した主な要因は一人のキャラクターの存在にある。『ノーカントリー』は今後も語り継がれていくであろう、映画史に残る名悪役を誕生させたのである。

 

ノーカントリー』のあらすじとキャスト

ノーカントリー』はコーマック・マッカッシーの小説『血と暴力の国』(2005年)が原作となっている。いかにも物騒な題名の小説だが、『ノーカントリー』はほぼこの原作の通りに物語が進んでいく。

舞台は1980年代のテキサス。
ベトナム帰還兵のモス(ジョシュ・ブローリン)は、麻薬取引の現場に残された大金を発見しそれを持ち逃げする。殺し屋であるシガー(ハビエル・バルデム)はギャングからモスの追跡を依頼され、大金の入ったケースに仕掛けられた発信機を頼りにモスを追う。さらにこの事件を追う年老いた保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も二人の行方を追うことになり、物語は三つ巴で展開していく。

冒頭でも書いたように、本作の一番の見どころは一人のキャラクターの存在にある。モスを追う殺し屋、アントン・シガーである。

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

まず冒頭、保安官の首を絞めるシガーの形相から、誰もが「こいつはヤバい」と一発で認識せざるを得ないほどの存在感を放つ。
演じたのは『007 スカイフォール』(2012年)でも強烈な演技を魅せた、ハビエル・バルデム。とにかく顔面の破壊力に秀でており、一度見たら脳内に強くインプットされてしまうタイプの俳優。シガーの魅力については、後ほど細かく書いていきたい。

シガーに恐怖の追跡を受けるモスを演じたのは、ジョシュ・ブローリン

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

「偶然大金ゲットできてラッキー」かと思っていたら、人生最悪レベルの恐怖を味わうことになる男。ラッキーどころか確実にツイてない。死にそうになっている男にわざわざ水をあげる為に危険を冒すなど、人物像としては普通にいい人。あんな大金を前にしたら大体の人は持ち逃げするだろうし、人間臭さがあって僕は好きな人物。

そしてこの二人の行方を追う老保安官を演じたのはトミー・リー・ジョーンズ

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(C)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

作品のテーマ的には最も重要な登場人物だが、とにかく哀愁がすごい。おそらく過去には正義に燃え、血気盛んに悪党を捕まえていた時代もあっただろうなと思う。が、本作での保安官ベルはすっかり年老いてしまっている。原題にも表れているが、この作品が放っているある種無情な真実をこのキャラクターが象徴している。

 

「お前らに暮らす場所など存在しない」

本作『ノーカントリー』の原題は『No Country for Old Men』である。邦題だけだと全く意味が分からないが、原題を見れば何とも腑に落ちるタイトルとなっている。
本作を観た上で僕なりに原題を意訳すると、「お前らに暮らす場所など存在しない」といったところ。直訳は「年老いた男に国は存在しない」となるが、本作が持つ不条理性は”年老いた男=保安官ベル”に対してだけでなく、この映画を観ている我々にさえ向けられる。

「悪役」を超越したアントン・シガー

本作が持つ不条理性を象徴しているのは、稀代の悪役アントン・シガーである。出会ったら最後、生かされるも殺されるも彼次第。シガーが投げるコインが表か裏かのどちらかかによって、自分の生き死にが決まってしまうのだ。
カリスマ的な悪役が持つ特徴として、”会話のシーンが恐怖”というのがある。シガーもこの例に漏れない。会話の途中で、「ちょっと変な野郎だな」と思っていたらいつの間にか100%イニシアチブを握られ、会話は”尋問”へと形を変えている。そして目の前にいる今まで出会ったこともない”異質な存在”に恐れをなす。

人を殺すことに何の感情も持たないように見えるシガーだが、不思議なことに恐怖はあっても彼に対して嫌悪感は生まれない。本作を観た人の多くがそう感じると思う。
その理由としては、シガーが正当に人殺しをしているように見えるからである。人を殺すのに正当な理由などなくあくまで作品世界限定での話だが、例えばシガーは汚い手は使わないし胸糞悪い犯罪には手を染めなさそうに見える。シガーの挙動一つ一つに説得力が伴っており、人殺しとしての彼に異論を挟める余地が存在しないのである。

どこまでも異質でありながら正当というのは、もはや神の存在に近い。実際にシガーが得体の知れない武器を持ってゆっくりと歩いている様は、神々しくも見えてしまう。どの角度から見ても一切感情移入の隙を与えないシガーの存在は、”悪役”という概念をも超越してしまったように思う。

 

難解な映画ではない

ノーカントリー』の感想で、「難解でよくわからなかった」と言う声を聞く。保安官ベルの唐突な語りで終わるラストによって、煙に巻かれたような思いをした人が多いのだと思う。とはいえ、本作は決して難解な作品ではない。むしろ物語はシンプルな逃走劇だし、説明こそ少ないが高水準な映画的語り口が随所で楽しめる。

もし本作をまだ観ていない人がいたら、急いで観た方がいい。シガーを観るだけでも楽しめる。絶対に。